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6年国語「学級討論会をしよう」実践編3

実践編とは言っても今回は評価である。

教室の3カ所で行われた討論会の評価をどのように行ったか。

 

まずA1、B1の討論の評価である。

C1の記録を読む。

A1の最初の主張は「自主学習は苦手な所が無理なくできる。自分で決めたことは責任をもって学習できる」というものである。

B1の最初の主張は「先生が決めた内容は色々なものが出てよい。時間もはかどる。自主学習は適当にやってしまう人もいるが、先生の出した宿題は安定して1時間毎日できる。」

A1の質問。「安定した学習ができると言うが、毎日1時間できるのか。」

B1の答え。「宿題が早く終わったら、自主学習をすればできる。」

B1の質問。「自分からやろうと思わず、適当にやろうとするのではないか。」

A1の答え。「それは自己責任だと思う。」

A1の最後の主張。「苦手な勉強を自分で復習できるのが自主学習のよいところ。そうするとテストの時によい点が取れて、次に勉強する気持ちも高まる。」

B1の最後の主張。「先生の決めた課題は自分でやることを決めるよりもはかどるし、内容も分かりやすい。課題が終われば自主勉強をすれば苦手も克服できるし、責任をもってやる態度も育つ。」

 

さて、これらの情報からどのような評価をすればよいのか。

私はA1は全員「だいたいできた(B)」、B1は全員「よくできた(A)」とした。

今回、私はグループ全体のパフォーマンスを一人一人の評価にそのまま反映させる方法をとっている。(賛否はあると思うが一つの方法として提示したい。)

どちらのグループも全員が自分の役割を果たし、最終的な結論も最初の主張から高まっており素晴らしい。討論というのは熟考が許されない面がある(ここが「書く」と「話す」の違いと私は解釈している)。これだけ意見の交換ができれば十分と考える。

ただ、A1は質問に対して「それは自己責任だと思う。」と十分な解決策を提示できなかった。これを言ったのはY君であるが、同じグループの子らはY君をサポートしきれなかった。その時、C1からも「それって答えになってる?」と声があったが、ちゃんとした答えがなかった。

そういう意味では、B1の「宿題が早く終わったら、自主学習をすればできる。」という応答も「他人のふんどし」で、十分とは言えないが減点はわずかと考える。

A1にもB1にも同じグループの友達に教えてもらって発言をした子もいるが、耳打ちされたアイデアを自分で公式の発言に変えたのだから、十分に「話す・聞く」の力を発揮したと言える。

 

A2とB2、A3とB3も同様に評価し、どのグループも「よくできた(A)」にとした。

面白かったのは、宿題忘れの常習3人を要するA2グループがB2グループに質問された時のことである。

B2「自主学習で予習や復習をしてもいいかげんにやったら頭に入らないんじゃないですか?」

A2「予習・復習は自分でやろうと思っているので、いいかげんにやる人はいないと思います。」

A2はこのように堂々と言ってのけた。B2グループから小さな声で「うそつけー」とつぶやきが聞こえ、A2の子らもきまり悪そうにしていた。しかし、反論としては十分な受け答えである。

さてこれらの評価は集めたノートにABCを書いて子どもたちに返した。もっとも、私の場合はA→「AAA」、B→「AA」、Bマイナス(ギリギリ合格)→「」、C→「」という寛大なものである。

ノートを返す時に、その評価をした理由も全体の前で解説した。

 

さて、今回の大きな反省。

学習課題が適切ではなかった。

私が提示した失敗学習課題。
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自分の役割を果たしながら第1回討論会を進めよう。
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子どもたちは自分の役割は果たしていた(出番で自分の意見を言った)ので、この課題だと今回は全員「よくできた(A)」のはずである。
しかし、実際は「だいたいできた(B)」の評価をしたグループもあった。受け答えが噛み合っていなかったからである。
この評価をするなら例えば
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グループで考えて論を戦わせよう。
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 グループで質問、応答を考え、論を戦わせて、聞いているグループに認めさせる。「説得力があった」と言わせる。これをゴールにすればよかった。
このような課題であれば、発言者を決めてその子におまかせという場面は生まれなかっただろう。
私自身がゴールのイメージをぼんやりとしかもたずに授業を進めてしまったのが原因である。