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6年国語「やまなし」「イーハトーヴの夢」実践編3.5

「五月」が45分で終わらなかったので、延長を20分認めていただきたい。

 
まず前の時間に子どもたちがグループで書いたかにの子供たちがこわがっている理由を掲示した。
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「かわせみのスピードに驚いた」
「こわいところに自分も連れて行かれると思った」
「食べられた魚のように自分も食べられると思った」
「弱肉強食の弱い方に自分もいると分かった」
 
どれもすばらしい回答である。
 
実は私の目論見としては「死ぬことに対する恐怖」という言葉が出てきて、「かわせみ=死」と強引にまとめたかったのであるが、子供たちの回答には「死」はなかった。
 
『「かわせみ」というのは、弱肉強食の世界の中で、食べられたら「こわいところ」という未知の世界に連れて行かれる恐怖を表しているんだね。』などと、やや未消化なまとめをしてしまった。
 
ただこれで物語には「裏側の意味」があるという大きな壁を突破できたと思う。
 
ここから一気にねらうレベルまで到達させたい!
 
『では、この「五月」を通して、賢治が伝えたかったことはどんなことでしょう。』
 
この問いに答えるための思考の誘導をした。
二つの話をした。
 
この物語は「かに」じゃなくて「人間」でも描けるのです。日光の降り注ぐ公園で、2人の兄弟が、大人がライオンに食べられてしまう現場を見たというのでも、賢治の言いたいことは伝わるかもしれないのです。それじゃあ生々しすぎるから「かに」で描いたのかもしれません。
でも、賢治は人間が食べられる物語も書いているんですよ。それが「注文の多い料理店」です。
賢治が「かに」や「かわせみ」を通して言いたかったことはどんなことなんでしょうか?
 
もう一つ。みなさんに聞きたいことがあります。
賢治はこの「五月」の世界を「いい世界」と捉えているのでしょうか?それとも「よくない世界」と捉えているのでしょうか?または「どちらでもない」「仕方がない」と捉えているのでしょうか?
「いい世界と捉えている」と思う人(0人)
「よくない世界と捉えている」と思う人(少数)
「どちらでもない・仕方がないと捉えている」と思う人(多数)
実は、「よだかの星」という物語の中で、主人公のよだかが、弟のかわせみに別れのあいさつをするときに、かわせみに伝えた言葉があります。(中略)このことから賢治は「五月」の世界を◯◯◯◯と考えていると予想できます。全ては示しませんのでご自分で解釈してください。
 
以上の話をして後は子供たちが自分の中で答えを導き出すのを待った。
 
一人、また一人、考えをノートに綴り始めた。
 
この日、子供たちがノートに書いたことは、子供たち自身が予想もしなかった到達点であったと思う。
 
「動物もがんばって生きているから、むやみにころしてはいけない。」
 
「動物はいつ殺されるか分からない恐怖の中で生きているということ。」
 
「動物も植物も命がつながっているということ。」
 
「人間も動物も生き物を食べて生きているので、簡単に命を取らずに、命を大切にして感謝して一生懸命生きろということ。」
 
「なるべく『死』という字を使わずに別の言葉で『死』を伝えたかった。
 
「生き物が死ぬのはいやだ。多くの災害でたくさんの命がうばわれたことを伝えたい。賢治が農業の道に進んだのも、この影響だと思う。」
 
子供たちが初めて物語の裏側に足を踏み入れた瞬間であると思う。
 
中には深読みしすぎと思えるものもあるが、その振り幅はこれからの学習で少しずつ修正されていくのではないかと予想している。
 
今日の学習は全員がAでもよいと思える。